「勤労感謝の日」…「新嘗祭」…「LaborDay」…そして思う事… [mini essay]
勤労感謝の日を迎えたので、ちょっと思っていた事を書いてみようかと思う。
さて、「勤労感謝の日」って何だろう?
「勤労をとうとび、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあう日」
…らしい。
なんだか抽象的。
新嘗祭の事を言っているんだと言われれば割と判りやすい。
簡潔に言うと「五穀豊穣を祝い感謝する祭り」で、現在一部の神社でも行われている年中行事の一つ。
アメリカの祝日「レイバーデー(Labor Day)」[労働組合の祝賀だった夏の最後を祝うお祭りが起源らしい]をまねて、日本の新嘗祭と絡めて制定したらしい。
新嘗祭だと宗教的色合いが濃いから「勤労感謝の日」にしたんだろうけど、この名称じゃレイバーデーの色合いの方が濃い様に感じる。
農耕民族の日本においては「五穀豊穣を祝い感謝する」という伝統的文化の方が、「勤労をとうとび、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあう日」よりも合っている様な気がする。
飽食の時代・消費の時代になってしまい、食べ物を粗末にすることを平然と出来る時代だからこそ「五穀豊穣を祝い感謝する」という意識は大切にすべきだと思う。
今年97になった祖母は、お米一粒も無駄にするなと、おひつに残った米粒を水で洗い濾して取り出して、残さず食べたり、米糊にしたりして、一切無駄にする事が無かった。
その祖母に育てられた母も同じく「食べ物を粗末にするな」と子である私に諭していた。
父方の実家も農家なので、やはり同様だった。
そのお陰で、私は食べ物を残すという事にすごく抵抗を感じる。出された物は残さず食べる事が、その食材に対する感謝、それを調理した人への感謝と賛辞だと思って、よっぽどでない限りは食べ切る様にしている。
そういう気持ちは、昔は当たり前の事だったはずだが、今の若い世代はどう思っているのだろうか?
お金さえ有れば食には困らない時代だが、感謝する気持ち派、少しでも持っているのだろうか?
多くの人が食事の時に、ちょっとでいいから、そういう事を考えられる様になったら、少しこの殺伐とした世の中も変わるんじゃないかな〜………なんて思ってる。
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